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いぐあなです。
人間ってすごい。
この本こわい…
最近「人はどうすれば動くのか?」をよく考えます。(え?なんか書いといてあれだけど、ちょっとこわいよね)
今回はこちらの本を読みました▼
超超超有名作、そう言われたら読んじゃうよね。
読んでみた感想▶「こわい」。
なんというか人間の心理が坦々と暴かれていてしかも何かめちゃくちゃ「あ、それわかる…」みたいな感覚がずっとあるの「こわい」し、初出版が1936年なのに現代にも確実に通用する事実が「こわい」。
え?
つまり、おもしろかったです。
前提として
自分の人望、幸福、そして価値観さえも、人づきあいの能力に大きくかかっている
D・カーネギー「人を動かす」より
著者は上記を自分自身に言い聞かせたうえで本書を読むのをすすめている。つまり、真剣に「人間関係」に向き合う必要があると主張している。
かつ、本書を熟読(ペンなどを用い自分だけの本にアレンジ)し、自分なりに解釈し行動することを前提条件だと伝えている。ちなみにこの部分は「蛍光ペンなど」を使うよう記載されているが、現代解釈なのだろうか。ちょっと受験勉強っぽくてやけに親近感沸いた。
私たちは行動することによって学ぶのだ。
D・カーネギー「人を動かす」より
行動した上で毎週振り返る習慣をつけることも重要な前提条件だ。「教えを与えられる」ではなく、自ら行動し経験する、そして振り返り「自問自答」することにより学びを深めていく。
なんというか、前提が上手にできていれば本書の大半は終わったようなもんだな。
ただ私は知っている。この前提条件を維持し続けるのが一番難しいのだ。
恐ろしい。一番初めにクギを刺してくるあたり本書は本当にこわい。
人を動かす3原則
死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえいればよろしい。
D・カーネギー「人を動かす」より
笑っちゃうくらいド直球。グサグサきちゃうよね。
人間は皆自分を正当化する生き物である。論理の面を持つものの、同時に感情の動物でもあり、偏見にも満ちている。
他人を非難することの意味のなさ。そしてそれ以上に自分に跳ね返る負が大きすぎる。
自分の一時の感情だけで他人を非難していないだろうか?
人を非難するのではなく、相手を理解する努力はしているだろうか?
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」
D・カーネギー「人を動かす」より
平伏すとはこのこと。
人は何を求めているのか。人間の欲求とは何か。
その中でめったに満たされることのないもの、それが「自己重要感」である。
「自己重要感」を満たす方法は人それぞれで異なる。人は自分なりに「自己重要感」を満たそうとするが非常に難しい。故に極端に歪んだ認知から「自己重要感」を満たすこともある。
人間は「他人から評価をもらう」ことが誰しも嬉しい。つまり、この欲求を誠実に満たすことが「人を動かす」ことに直結する。
自分が好きなものを問題にする必要はない。問題にするのは「相手が好きなもの」だ。
相手が心の中に秘める欲求を引き出すこと。どうすれば相手に、そうしたくなる気持ちを起こさせることができるか?が重要なのだ。
常に相手の立場に身を置き、相手の立場から物事を考える
D・カーネギー「人を動かす」より
相手の立場から考えたものを言語化し行動するのだ。決して自分主体で考えてはいけない。
ちなみにここまででPart1までだ。
恐ろしい。
歴史上の人物もたくさん出てくるが、例にもれず「人間」なのである。
ちょっと深すぎるよ…。
この本が存在していることがもうなんか巡り巡ってこわい。
今まで読まずに生きてきたのもこわい。もうこの本の虜。
最後に、著者自身が鏡に貼り付けて毎日見ていたとされる以下の言葉がすごく沁みました。私も大事にしたい。
「この道は一度しか通らない道。だから、役に立つこと、人のためになることは今すぐやろう。先へ延ばしたり忘れたりしないように。この道は二度と通らない道だから」
D・カーネギー「人を動かす」より
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